サッカーにおいて失点しないということはほぼ不可能である。
それはサッカーというスポーツは「点を奪い合うスポーツ」だからである。
そんなサッカーにおいて、ゴールキーパーは常に「無失点」という理想を掲げる。
常に失点に向き合い、自分のプレーを改善する。
そして、いつも考える・・・・・・
「あの時、俺はどうすればよかったのか」
こんにちは、Atsuyaです。
先日以下のようなツイートをしました👇
”哲学は、「philosophia(フィロソフィア)」を語源とする。「知を愛する」という意味のギリシャ語だ。本来の哲学とは、「考えることを愛する」こと。”
常に失点と向き合い、考え続けるGKは哲学者…
なのかもしれない。
こんなことを思った理由は、1週間ぐらい前にこちらの本を読んだからです👇
皆さんは本を読むことが好きですか??
もともと僕は本を読むことが好きで、いつも読んでいる本と違う本を読んでみようと思いこの本を買ってみました。
本日のブログではマンガで実用 使える哲学 (マンガで実用シリーズ)を読んでみて、ゴールキーパーとして実用できそうな哲学的な考えをまとめていきたいと思います。
本日の概要はこちらです👇
- ゴールキーパーにおいて、善く生きるとは?
- ゴールキーパーはすべてを疑え!
- 自分が無知であることを認める?!
では、深堀していきます。
ゴールキーパーにおいて、善く生きるとは?
ゴールキーパーをしている皆さん。
「キーパーというポジションは好きですか?」
もし、GKがというポジションをやりたくないのに、周りより身長が高いから、責任感があると周りの人に言われてるからGKをしているのであれば、GKというポジションはお勧めしません。
それはあなた自身への『魂の配慮』が足りません。
より善く生きるために、魂の配慮を行いましょう。
そもそも『善く生きる』とは何なのか・・・・
それは今、自分自身が求めていること、求めるべきことについて真剣に考えることです。
そして魂の配慮とは、文字通り魂に気遣うことです。
スポーツ選手なら自分自身の体のために、適切に栄養補給を行いストレッチング等行って体にたまっている疲労を取りますよね。体に気をつかっていますよね。要するに体だけではなく、魂にも気をつかい、自分らしく生きることが大切だ、という意味です。
これはプラトンの哲学思考です。
あなたがGKを行ううえでの『求めていること』、つまり『善』は何ですか?
僕の場合、相手のシュートを何事もなくキャッチすることが一番喜びです。
あなた自身がゴールキーパーを行ううえで求めていることは何ですか?
もちろん、チームメイトのため、クラブのためにゴールを守っているのは事実です。
しかしこれだけではありません。
僕自身、他人のためにゴールキーパーというポジションをしているわけではありません。自分自身が楽しいと思っているから僕はゴール前に立っています。
ゴールキーパーは全てを疑え!
「全てを疑うことで、本当の自分を見つけることができる」
これはルネ・デカルトの哲学思考です。
私たちは生まれたときから、ある特定の「常識」を何の疑うこともなく、信じて生きているかもしれません。
それを改めて確かめようとすることも少ないと思います。
例えば、一流の大学に行き大手企業に勤めるなど….
しかし、デカルトの哲学思考は文字通り、自分の周りに起きている全てのことを疑うことから始まります。
そしてデカルトが用いた思考方法は「方法的懐疑」と呼ばれています。
方法的懐疑を簡単に説明すると、まずは自分の周りで起きていること、自分の感覚など全ての存在をを疑います。そうすると「疑っている自分」は存在するのか?ということにたどり着きます。
全てを疑いつくして、最後に残る物は「疑っている自分」です。つまり「我思う、ゆえに我あり」という結論に導かれます。
「我思う、ゆえに我あり」 という言葉は世界史の授業か何かで聞いたことがあると思います。
ここからが本題ですが、ゴールキーパーというポジションもすべてのプレーを疑うことが大切です。
- なぜ失点したのか・・・
- なぜファインプレーができたのか・・・
- なぜ今日はシュートが来なかったのか・・・
- なぜチームが勝てたのか・・・
全ての失点、全てのファインセーブには理由があります。
全てのプレーを疑いましょう。
これらのことをGKは常に考え続けることが大切だと改めて実感しました。
自分が無知であることを認める?!
皆さん、「無知の知」という言葉を知っていますか?
ギリシャの哲学者、ソクラテスの有名な言葉なので皆さん知っていると思いますが。
マンガで実用 使える哲学 (マンガで実用シリーズ) では、ソクラテスは神殿で「ソクラテスより賢いものはいない」と神託を受けました。ソクラテスは驚いたが、「自分だけが自分の無知を知っている」という意味で賢いと理解した、と書かれています。
つまり、 自分が「無知であること」を理解できれば、私たちは賢くなれる。
これはGKにも同じことが言えます。
あなたはGKのことについてどれくらい知っていますか?
「全ての技術を理解していますか?」
「もう身体能力は向上しないと諦めていませんか?」
僕自身もGKについて知らないことだらけです。
自分が無知であることを知り、死ぬまでGKについて学んでいこうと思います。
まとめ
今日のブログでは哲学とGKを関連させながらブログを書いていきました。
かなり内容がスピリチュアルになってしまいましたが…
GKをする上で、自分の気持ちは切り離せないものです。
自分の気持ちを大切に、そして科学的なエビデンスのある書籍や論文をベースにGKの技術、メンタルについて今後も学習していきます。
たまには、自分の専門以外の本を読むことも大切だなと思いました。
最後までご覧いただきありがとうございました。